第三四一海軍航空隊Ⅱ | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

第三四一海軍航空隊Ⅱ

第三四一海軍航空隊

 

19年7月10日付
第二航空艦隊に編入。
三四一空は、「紫電」の充足に伴い、戦闘第四〇一飛行隊[飛行隊長:白根斐夫大尉]/戦闘第四〇二飛行隊[飛行隊長:藤田怡与蔵大尉]の二個飛行隊編成になる。
また、館山基地は狭く、高速の「紫電」の訓練には不向きなので、戦闘第四〇二飛行隊は明治基地に移動した。
別に、『T攻撃部隊』の制空隊として、戦闘第七〇一飛行隊「飛行隊長:新郷英城少佐-19年8月に岩下邦雄大尉」が横須賀航空隊で編成され錬成を開始した。

第三四一海軍航空隊

戦闘第四〇一飛行隊
【飛行隊長】

白根斐夫大尉

【装備定数】

乙戦「紫電」48機[常用36機/補用12機]

戦闘第四〇二飛行隊
【飛行隊長】

藤田怡与蔵大尉

【装備定数】

乙戦「紫電」48機[常用36機/補用12機]

戦闘第七〇一飛行隊
【飛行隊長】

新郷英城少佐-岩下邦雄大尉

【装備定数】

乙戦「紫電」48機-常用36機/補用12機]が、横須賀航空隊・追浜基地にて編成された。
*戦七〇一は「T部隊」に編入され、台湾沖海戦に参加後フィリピンに移動、11月に三四一空に配属される。


昭和19年8月6日
「紫電」空輸中殉職。
川西航空機より「紫電」の空輸にて。
【殉職者】1名
福永 智   一飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一 *鳴尾

昭和19年8月26日
訓練中殉職。
勝木兵曹機との空中衝突にて。
【殉職者】1名
前田一男  一飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一 *館山

昭和19年8月28日
訓練中殉職?
【殉職者】1名
古屋敷義始 飛長   (特乙1期)  戦四〇二 *明治基地

昭和19年8月31日
戦四〇一/「紫電」11型17機(浅川大尉指揮)が、台湾・高雄岡山基地に進出した。
「完備・4機、破損・2機、整備中11機[うち9機発動機焼損]」

昭和19年9月1日
【兵力展開状況】
 戦闘第四〇一飛行隊 館山基地・49機/高雄基地・17機
 戦闘第四〇二飛行隊 明治基地・53機
【装備定数】
 96機(保有・119機/可動65機)

昭和19年9月中旬
第二陣の「紫電」25機が九州・宮崎基地、沖縄・小禄基地を経由し高雄基地に進出。

中国大陸からの米第14航空軍機の迎撃に当たるが、「紫電」の可動率は低く、訓練には支障をきたした。

昭和19年9月15日
不詳 [筆者注:調査未完]
【戦死者】1名
安田正彦  一飛曹 (乙飛16期) 戦四〇一 *フィリピン ?

昭和19年9月16日
不祥 [筆者注:調査未完]
【戦死者】1名
伊藤 昇   上飛曹 (乙飛12期) 戦四〇一 *ザンボ ?

昭和19年9月下旬
戦四〇二の主力は、宮崎基地に移動した。

期日不明
“T部隊”所属の戦七〇一「紫電」11型15機が、台湾沖航空戦に参加の為、宮崎基地に進出。

昭和19年10月1日
【勢力展開状況】
戦闘第四〇一飛行隊
 宮崎基地 「紫電」11(うち可動6)機
        「零戦」若干

 高雄基地 「紫電」32(うち可動20)機

戦闘第四〇二飛行隊
 宮崎基地 「紫電」30(うち可動25)機
        「零戦」22(うち可動18)機

昭和19年10月10日
訓練中殉職?
【殉職者】1名
山田恒作  飛長  (特乙1期)  三四一空・戦四〇二 *宮崎

昭和19年10月11日
朝 戦四〇一より川西航空機に派遣されていた「紫電」空輸要員の3名(松本 孝中尉、島田 政上飛曹、海保博治一飛曹)が、「紫電」3機に搭乗し鳴尾飛行場から宮崎基地に移動。休憩後、燃料を補給して沖縄の小禄基地に向かう予定だったが、前日、沖縄は米艦載機の攻撃をうけていた為、急ぎ戦闘準備を整える。

昭和19年10月12日
「高雄・屏東地区米艦載機邀撃戦/戦四〇一」
「紫電」11型7機が、上空哨戒のため発進。
0640 「紫電」11型24機、零戦1機、(浅川大尉指揮)が、高雄岡山基地を発進。
0700 上空哨戒中の「紫電」11型7機が、二群に分かれた戦爆連合約60機を優位より攻撃。
発進した「紫電」隊は、上空にて集結を終える間もなく交戦。
第二回以降の邀撃は、4機まとまるのが精一杯で、効果的な邀撃戦を展開することが出来なかった。
1300 空戦終了。
着陸の際、味方対空砲火を受け、かなりの機数が飛行場以外の田畑に胴体着陸した。
戦闘終了後、紫電11型の可動機8機。
【編成】
上空哨戒隊・「紫電」11型7機
第一小隊・第一区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
第二区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機

【編成】
邀撃隊・「紫電」11型24機、零戦1機
第一中隊・第一小隊・第一区隊
 一番機 浅川 正明大尉
 二番機
 三番機
 四番機
第二区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
第二小隊・第一区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
第二区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
第二中隊・第一小隊・第一区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
第二区隊
 一番機
 二番機
 三番機
 四番機
【戦果】
撃墜:10機
【個人戦果】

山田武夫一飛曹 撃墜:F6F-4機
平川英雄一飛曹 撃墜:F6F-4(うち体当りにより1)機
【被害】
損失:「紫電」11型14機[自爆・未帰還8/不時着・大破4/被弾・落下傘降下1/体当り・落下傘降下1(生還)]
【戦死者】9名
若林重美  中尉  (海兵71期) 戦四〇一
山口勝巳  中尉  (海兵72期) 戦四〇一
今井和澄  上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一
都築 登   上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一
友広芳久  上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一
奈須義夫  上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一
中川 進   上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一
深沢柳二  一飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一 落下傘降下したが、火傷の為に戦死
吉瀬不二夫 上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一

同日
朝 宮崎基地の戦四〇一の紫電11型3機は、「T部隊」の戦七〇一に編入され、第六〇一海軍航空隊の零戦52機、九九式艦上爆撃機40機、天山艦上攻撃機56機の掩護隊として、沖縄・小禄基地に進出、戦闘機隊は艦爆、艦攻が着陸終了まで上空哨戒を行う。

昭和19年10月13日
「高雄地区米艦載機邀撃/戦四〇一」
米艦載機は台湾南部の東港、屏東、高雄方面と沖縄の与那国島、八重山諸島の石垣島に来襲した。
詳細不明。
【編成】
「紫電」11型  機
【戦果】
不明
【被害】
不明
【戦死者】2名
境 忠   上飛曹 (丙飛2期)  戦四〇一
大石嗣彦 上飛曹 (甲飛10期) 戦四〇一 台湾沖、空中戦により

戦四〇一は、ボーイングB29四発重爆撃機による基地の被爆により、高雄・岡山基地より不時着場に指定されていた大崗山基地に移動。

昭和19年10月14日
「台湾沖航空戦/戦四〇二・戦七〇一」
朝 西第一空襲部隊・第一攻撃隊[偵察機14機〈一三一空/四航戦〉、戦闘機80機〈二二一空/三四一空/四航戦〉、「彗星」艦爆40機〈攻五/攻四/四航戦〉、「銀河」陸爆24機〈攻四〇五/攻四〇六〉]
西第一空襲部隊・第二攻撃隊[偵察機12機〈三/四航戦〉、戦闘機105機〈二〇三空・戦三〇四/二五二空/三四一空/三航戦〉、九九式艦爆47機〈攻一〇二/攻一〇三〉、「天山」艦攻56機〈攻二五六/攻二五二/三航戦〉]として宮崎基地を出撃。
途中、沖縄の各基地にて燃料補給を行う。
〔戦四〇二:「紫電」11型32機、零戦8機、戦七〇一:機種不明23機を白根大尉指揮 二五二空:零戦42機〕
1330 第一攻撃隊が沖縄・北飛行場を発進。
1430 第二攻撃隊は沖縄・小禄飛行場を発進。
攻撃隊の大部は、途中の天候不良の為に機動部隊攻撃を断念、台湾基地へ。
1720 第二次攻撃隊は帰途途中、グラマンF6F戦闘機14機の奇襲を受けて交戦。
【編成】
戦四〇二・「紫電」11型32機、零戦52型8機/戦七〇一・機種不明23機
【総合戦果】
撃墜:F6F戦闘機6(内不確実1)機
【総合被害】
自爆・未帰還:「天山」艦攻6機 零戦3機、「紫電」11型1機

昭和19年10月21日
「台湾・高雄?」 [筆者注:調査未完]
【戦果】
不明
【被害】
不明
【戦死者】
半田享二  上飛曹 (丙飛3期)  戦七〇一 【10月29日、「比島クラーク地区邀撃戦」にて戦死説有り】

昭和19年10月22日
第一攻撃集団の三四一空・戦四〇一/戦四〇二の「紫電」11型24機は夕刻までに、フィリピン・ルソン島クラーク地区マルコット基地に進出。

昭和19年10月23日
「比島沖海戦/航空総攻撃」
0653~0730 出撃したが、天候不良の為、約一時間後に反転し引き返す。

同日
三四一空[戦四〇一/四〇二]はマルコット基地に集中、合流を終える。
「紫電」11型36機/可動21機

【戦死者】
小島 寛  中尉 (予備11期) 戦四〇二 *バシー海峡【移動中の故障による不時着水?】

昭和19年10月24日
「比島沖海戦/航空総攻撃Y日」
0630~0700 第一攻撃集団・制空隊/零戦54機[二五二空・戦三一七/二二一空]、「紫電」11型21機[三四一空・戦四〇一/戦四〇二]が出撃。
ポリロ島付近で攻撃隊、掩護隊と分離。
マニラの90度、150浬付近にてグラマンF6F戦闘機約50機と交戦。
多数機を失う。
【編成】
「紫電」11型21機
第一中隊・第一小隊・第一区隊
 一番機 横手高明  大尉   三四一空・戦四〇二 未帰還

       柴村 実   飛曹長 三四一空・戦四〇二 未帰還
       篠原六三郎 上飛曹 三四一空・戦四〇二 未帰還
       渋谷貞郎  上飛曹 三四一空・戦四〇一 未帰還
       滝島万吉  上飛曹 三四一空・戦四〇一 未帰還
【総合戦果】
撃墜:F6F戦闘機7機(うち不確実1機)
【総合被害】
損失:11機、被弾機:多数
【戦死者】
横手高明  大尉  (海機50期) 三四一空・戦四〇二 *フィリピン
柴村 実   飛曹長 (操練48期) 三四一空・戦四〇二 *フィリピン
篠原六三郎 上飛曹 (乙飛11期) 三四一空・戦四〇二 *ソロモン?
渋谷貞郎  一飛曹 (甲飛10期) 三四一空・戦四〇一 *ラモン湾上空において敵機と遭遇、これと交戦中
滝島万吉  一飛曹 (甲飛10期) 三四一空・戦四〇一 *ラモン湾上空において敵機と遭遇、これと交戦中

同日
夜 三四一空の「紫電」11型の可動機は4機に減じる。

昭和19年10月25日
「不詳」
【戦死者】
染谷 甲  中尉  (海兵71期) 三四一空・戦四〇一 *フィリピン

同日
三四一空の所属する第二航空艦隊と第一航空艦隊は合体し、第一基地連合部隊が編成される。

昭和19年10月28日
「レイテ島タクロバン攻撃」
昼間~薄暮 零戦52型37機、「紫電」11型6機、陸攻8機。
【編成】「紫電」11型6機
【戦果】地上炎上・F6F-40機
【被害】
喪失:零戦52型6機

同日
“T部隊”の戦七〇一が、マルコット基地に進出(?)。

昭和19年10月29日
「クラーク地区艦載機邀撃戦」
0745~1600 三波にわたり艦載機延べ290機を、戦闘機延べ133機[零戦52型102/「紫電」11型31]で邀撃。
0745 第一波はクラーク地区、ニコルス地区の飛行場に来襲した。
第二波はマニラ地区に来襲した。
1500過ぎ 第三波は海軍工廠のあるキャビテ地区を中心に来襲。
【編成】
「紫電」11型31機
 半田享二  上飛曹  戦七〇一
 小八重幸太郎上飛曹 戦七〇一 *撃墜・F6F戦闘機2機
 平野 修   一飛曹  三四一空・戦四〇二
【総合戦果】
撃墜:F6F戦闘機/艦爆33機
《米軍記録》
喪失:11機
【総合被害】
未帰還:22機
地上炎上:6機
【戦死者】
半田享二  上飛曹 (丙飛3期)   戦七〇一 【10月21日 台湾・高雄戦死?】
平野 修   一飛曹 (甲飛10期) 三四一空・戦四〇二 *マルコット
風見芳郎  中尉   (海兵72期) 二五四空 *クラーク
青木保善  中尉  (予備11期) 二〇三空・戦三〇四
南 義一   中尉  (乙飛2期)  二五四空 *マニラ
江馬友一  飛曹長 (操練22期) 二五四空
中村常石  上飛曹 (甲飛6期)  六五三空・戦一六四/五 *バンバン
斎藤 昇   一飛曹 (甲飛10期) 二〇三空・戦三〇三/四 *バンバン
堀井正雄  一飛曹 (甲飛10期) 二五四空
星野清光  一飛曹 (甲飛10期) 二五四空
細迫直行  飛長  (特乙1期)   二五二空・戦三一五 *バンバン

10月末現在
三四一空(戦四〇一/戦四〇二)保有機:「紫電」11型25(うち可動15)機。
戦七〇一は不明。

この頃
戦四〇一の先任搭乗員:大原上飛曹、島田上飛曹、甲飛10期の搭乗員7~8名はマラリヤや悪性の下痢に悩まされながら、病院にも行けず宿舎で治療、休業していた。

 

以下、Ⅲに続く。

 

【参考文献】

テーマ一覧の「主要参考文献・資料」を参照下さい。

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆、改訂を予定しております]

 

初稿 2005-04-19