第三〇二海軍航空隊 (3) | 航空戦史 雑想ノート【海軍編】

第三〇二海軍航空隊 (3)

第三〇二海軍航空隊 (3) 

 

昭和19年5月1日
三菱重工業・名古屋航空会社・鈴鹿補給部より雷電11型3機を空輸、領収。
「昼戦隊」(零戦52型5機)が、追浜基地より厚木基地に移動。

 

同日現在
「乙戦隊」の保有機数
雷電:16機/可動9機
零戦:31機/可動28機 追浜基地の零戦分隊と、雷電隊が木更津基地に残留した訓練用補助機材を含む。

昭和19年5月5日

午後 「乙戦隊」(雷電7機・零戦分隊3機)が、追浜基地より厚木基地に移動。
以後、「乙戦隊」は5月中旬までに逐次、厚木基地に移動する。
第7回防空訓練が開始。

昭和19年5月6日
増強された雷電7機、零戦6機が防空訓練に参加。

昭和19年5月7日
雷電7機が防空訓練に参加、着陸時に故障した1機が大破。

昭和19年5月8日
雷電4機が防空訓練に参加。
第7回防空訓練が終了。

昭和19年5月9日
雷電5機、零戦9機が空戦訓練、零戦7機が編隊訓練を実施。

昭和19年5月10日
零戦10機が編隊訓練を実施。

この頃、機種ごとに分隊に分け、合わせて一個飛行隊を形成。

昭和19年5月中旬
「丙戦隊」に少尉任官前の予備13前期・偵察員の金沢久雄、鞭 杲則、小林大二、土屋良夫少尉(5月31日任官)等が、着任。

昭和19年5月13日
雷電2機が空戦訓練と写射訓練。零戦2機の基本攻撃訓練。

昭和19年5月14日
雷電4機が編隊追攻訓練。零戦15機による基本攻撃訓練、同4機による定着訓練を実施。

昭和19年5月15日
雷電4機が編隊訓練。零戦14機が基本攻撃訓練。

昭和19年5月16日
零戦5機が基本攻撃訓練、同3機による薄暮定着訓練を実施。

昭和19年5月下旬
隊付(実質は第二飛行隊長):美濃部正大尉(海兵64期)が着任。
「丙戦隊」に実用機教程を卒業した少尉任官前の予備13前期・操縦員の齋部元宣、佐藤 隆、秋田(犬丸に改姓)隆次少尉(5月31日任官)が、着任。
乙飛17期・偵察員の花井輝男、北川良逸、松原 昇、松野輝男二飛曹が、大井海軍航空隊及び鈴鹿海軍航空隊で教育を終え、着任。
艦爆転科の特乙1期・操縦員の大河幸造、戸田利夫、界外芳光、園田一康上飛兵が、宇佐海軍航空隊より着任。他に、陸偵隊にも乙飛17期・偵察員、特乙1期・操縦員(陸攻転科)が着任。

昭和19年5月20日
「東号作戦-本土近海邀撃-」
米第58任務部隊(機動部隊)が、南鳥島に来襲。
0955 第二警戒配備が発令、隊内哨戒第一配備につく。
1000 作戦発動。
1028 雷電8機、零戦10機が即時待機別法。
1200 第三〇一航空隊・戦闘第六〇一飛行隊の雷電30機が、追浜基地より厚木基地に進出、指揮下に入る。
1515 佐世保鎮守府所属の佐世保海軍航空隊の零戦16機、呉鎮守府所属の呉海軍航空隊の零戦18機が、厚木基地に進出、指揮下に入る。
1830 警戒警報が東部全地区(関東、伊豆半島、東北)に発令。隊内哨戒第二配備につく。

昭和19年5月23日
警戒警報解除。

昭和19年5月24日
第三航空戦配備、雷電8機、零戦6機が警備態勢をとる。
雷電6機、零戦5機が防空訓練、零戦10機が追攻訓練、零戦6機が基本攻撃訓練を実施。

昭和19年5月26日
鈴鹿補給部より雷電5機が空輸。
零戦10機が追攻訓練、零戦5機が反攻訓練、同4機が薄暮編隊訓練を実施。

昭和19年5月28日
零戦8機が追攻、反攻、夜間訓練を実施。

昭和19年5月29日
零戦5機が編隊訓練。

昭和19年5月30日
零戦12機が追攻訓練。

昭和19年5月31日
雷電6機が空戦訓練。

同日
「訓練事故/木更津派遣隊・陸偵隊」
二式中間練習機にて離陸直後、高度200㍍前後で失速、木更津沖の浅瀬に墜落。
操縦・鈴木東一郎上飛兵(錬成員)
偵察・森 勇少尉 (指導教官)
【殉職者】

鈴木東一郎 上飛兵 (特乙1期)
【負傷者】

森  勇    少尉   (    ) 両足骨折
 

 

【参考文献】

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[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]


初稿  2005-04-27